「防衛計画の大綱」改訂に向けて

防衛力整備に関わる今年の大きな仕事の一つが「防衛計画大綱の改訂」である。
7月26日、防衛省はそのたたき台となる「防衛力のあり方検討に関する中間報告」を発表した。
以前このコラムにも書いたのだが、防衛計画の大綱は、わが国防衛の基本政策を示すものであり、国家戦略目標を明確に定め、独立主権国家として「本来あるべき姿」を追及することを求めなければならない。
 ところが現状は、憲法や政府解釈などの諸制約によってしばりがかけられ、その時の政治と財政状況の影響を受け、言わば政治・財政的に「妥協した姿」になっている。
 昭和51年最初の大綱が作られた時から3回改訂をしたが、いずれも同様にこの流れの中にある。

「基盤的防衛力構想」、「合理化・効率化・コンパクト化」、「多機能で弾力的な実効性のある防衛力」さらには「機動的防衛力構想」と看板はいろいろ変えたが、結局は自衛隊の航空機・艦艇・人員を漸次減らして防衛予算も削減し、専守防衛・非核三原則の大看板をそのままにして、他国を刺激せず、必要最小限の防衛力を堅持するとの方針の下に、核抑止力を含め戦略的な戦力は米軍に依存する姿勢をとってきた。

これによって種々の問題点が指摘されている。
 一例を挙げれば、北朝鮮の弾道ミサイル試射の対応でも、初期の情報は米軍に頼らざるをえず、落下物に対する防衛策すら、迎撃ミサイルをあっちこっちと移動させ何とか態勢をとったが、隙だらけであることが分かった。
幸いに落下物はわが領土を外れたからよかったものの、もし領土内に落ちていたら惨事になった可能性もある。
「情報収集衛星を導入したのに、早期警戒情報が採れなかった」、「1兆円もかけた弾道ミサイル防衛システムも、あまり役に立ちそうではない」と思った人も多かったと思うが、政府が採用してきた情報収集衛星やミサイル防衛システムの整備はその程度の政策的選択だったのだ。
もっと金をかけて濃密な情報収集とミサイル防護システムを作り、国民への警戒警報システムの構築あるいは防護シェルターの準備などを進めておけば、国民の防護力は増大し、多少の安心感が得られたと思うが、国としてはそのような選択をしてこなかったのが残念ながら事実である。
さらに究極の選択肢として相手の基地攻撃能力を確保していなかったことが挙げられる。敵基地攻撃の能力を持っていたら、断りもなくわが国の頭を超えるような無謀な行動を抑制することも出来たかもしれないが、わが国としてはそのような選択肢は最初から放棄してきた。それが現実の「妥協した姿」である。
中国海軍が、尖閣諸島にしつこいほどの干渉と挑発を繰り返し、南西諸島に圧力をかけている様相は、わが国の希薄な防衛力を瀬踏みしている状況といえる。

「本来あるべき姿」としての大綱を策定するとすれば、独立主権国家として次のような事項を明確にしなければならないだろう。
1.戦略的作戦能力の強化(敵基地攻撃能力の確保、シーレーン防護能力の確保など)
2.戦略情報体制の強化(偵察・監視衛星の充実、国家情報機関の強化など)
3.核抑止力の向上(米軍の核抑止力の強化、非核三原則を正し「核を持ち込ませず」ではなく
 「核を配備する」に修正するなど)
4.中国の太平洋進出に備えた南西諸島防衛体制の構築(尖閣諸島はじめ離島に対する防衛
 警備体制の強化など)
要するに、今までアメリカに依存してきた戦略的な作戦能力を自ら保持して、相手の侵攻の意図に応じて「反撃行動」と「防衛行動」を自在に採れる主導性を発揮するとともに、新たな脅威に対応できる防衛力を整備することである。

今回の「防衛力のあり方検討に関する中間報告」にはそのような方向性が伺える。
 どのような装備を、何時までに、どの程度整備するのかは、防衛力整備に携わる防衛省・自衛隊の現職の諸官にお任せしなければならないが、国の安全を危惧する日本人の一人として、向かうべき方向を間違わずに進んでもらいたいと期待して止まない。
 わが国の安全保障上の本質的な問題は、この「あるべき姿」と「妥協した姿」とのギャップをどのようにして埋めるのかということに尽きると思うからである。(松島悠佐)