「防衛大学校研究科」
名前が示すとおり「防衛大学校」であり、「防衛大学」ではありません。
文部科学省の所掌する教育機関が「大学」であり、各省庁が所管する省庁大学校に分類される学校です。防衛省では他に「防衛医科大学校」があります。
農林水産省の水産大学校、国土交通省の海上保安大学校、警察庁の警察学校などと同じ位置づけの学校です。
昭和28年に「保安大学校」として第1期生の入校があり、昭和29年の保安庁の防衛庁への名称変更に伴い、防衛大学校となりました。第1期生は昭和32年に卒業しています。
旧帝国陸海軍はそれぞれ、陸軍士官学校と海軍兵学校を持ち、さらに高級将校、士官の養成機関としてそれぞれ陸軍大学、海軍大学を持っていました。
それぞれ別の教育機関で教育を受け、ほとんど接する機会が無く、文化・伝統などが違うため、お互い反目する場面が多かったと言われています。その反省を踏まえ、防衛大学校は「陸」「海」「空」の幹部自衛官養成機関として、4年間「同じ釜の飯を食う」という共同生活をさせ、各自衛隊間の風通しを良くする配慮がなされています。
防衛大学校には、本科と研究科があります。主に「防衛大学校」というと「本科」を指します。1学年約500名で、1年生から4年生までいますので約2000名が共同生活をしているのです。本科学生が一斉に食事をする光景は壮観です。
平成25年3月には本科58期生が卒業しました。
本科学生は、陸・海・空の「色」が付いていないので、入学期別、学年、専攻学科、所属スポーツクラブ、生活面では、それぞれの大隊(4個大隊編成)の所属程度の帰属意識しかありません。
しかし、本科卒業後概ね5年程度の各自衛隊勤務を経て、研究科を受験し、入校(課程履修)してくる者は、それぞれの「色」が付いています。日頃の集まりも陸・海・空それぞれの所属で固まるのが常です。
私は防衛大学校の卒業生ではないので、陸・海の学生とも親しくしていましたが、宴会や食事などの集まりはだいたいそれぞれの所属自衛隊毎になっていました。
その他にも、おもしろい相違点がありました。それぞれの自衛隊の特色が反映されていると思います。
まず、陸上自衛官は体力維持向上に熱心です。年間2回程度、体力検定がありますが、陸上自衛官は検定の上級を目指して準備を整え、検定にもまじめに取り組みます。その点、海・空はあまり熱心でないのが一般です。
次に「酒」についてですが、陸上自衛官は飲めない人即ち「下戸」は飲みません。酒に弱い者も飲みません。部隊では隊員と同席している宴席で、だらしのない酔い様を見せないことが必要ですので、こうなるのだと思います。
海は士官、下士官、兵と別々に食事や起居をしますので、士官同士、仲間であればベロベロになるまで飲んで介抱されながら帰るのも平気です。
その点、空は幹部と曹士は職種で別れており、階級意識が希薄です。そこで、幹部自衛官が部下と飲んで、部下に介抱される場面なども別に珍しいことではありません。
生活態度は個人によって違いますが、一般に、陸上自衛官は、時間に厳格です。朝起きて朝食を取り、課業(授業や研究)を行い、夕食後しばらくして寝るのが普通です。
私の場合は全く昼夜逆転でした。私だけでなく、それに付き合っていた者もかなりいましたので、私だけ特殊というわけではなかったと思います。
即ち、どこからスタートかは分かりませんが、朝食を取って、寝てしまいます。授業があると出席し、夕方まで授業を受けます。夕食後また寝てしまいます。そして夜中に起き出し、外出して夜食とちょっとお酒をたしなみ、帰ってきて朝食の時間まで研究活動をします。そして、次の一日に入るわけです。
ひどい者になると、卒業論文を書く時期には全く睡眠を取らず、風呂にも入らず、食事にもほとんど行かず、我々が外出する時に「何か買ってきてくれ」と頼み、買ってきたものを食べて、そのまま後ろに投げ捨て、ゴミの山の中で生活している者もいました。研究論文は最終的に完成出来る見込みが立たず、助教授以下が徹夜で手伝ってみたものの、研究発表会では袋だたきに遭っていました。
本科学生が詰め襟のカッコ良い服装であるのに比べ、研究科学生はほとんどが私服で、作業着のようなもので一日中いる者も結構いました。差別用語ですが「乞食村」「「落ち武者部落」と呼ばれる宿舎で起居していました。
時々行事などで制服姿を見ると、別人かと思いました。
当時は、大学の大学院に相当する学業を行っているにもかかわらず、「修士号」「博士号」はもらえませんでした。現在は、審査機構へ申請することにより、修士、博士の資格をもらえるようになっています。本科学生も「学士」の資格を授与できるようになっています。
現在では、修士、博士の名に恥じない、学業と立派な生活を送っているものと想像しています。(島本順光)