選挙の焦点は安全保障と実体感覚
慌しく選挙戦が始まったが、ようやく政党が目指す政策の柱が見え始めてきた。是非、安全保障政策など国の基本を明確にしてほしいものである。
これまでの選挙でも、安全保障政策が欠落している政党や、選挙公約に安全保障の「あ」の字も無い候補もいて、これで国政を担うつもりなのかと驚くこともあった。
また、実体とかけ離れた空理空論が先行して、混乱を与えることも多かった。
かつて社会党には、「非武装中立論」を唱える議員がいて世間を惑わし、さらに日米安保・自衛隊は憲法違反と主張していたのが、政権に就いた途端に、実行不可能で非現実的な考えだと気が付いて訂正した。
民主党のマニフェストも同様で、政策を見直せば17兆円もの財源が容易に確保できるとして、子供手当てやガソリン税・高速道路無料化などの出来もしない政策を掲げ、挫折した。現実性のない空理空論だと途中で判ったのだが、頬かむりをしたままに逃げ続け国会を解散する直前になってやっと修正した。
「原発ゼロ」も同様で、昭和中期の高度成長前に戻るならいざ知らず、今の状態でエネルギーだけ止めるのは無理だろう。原発の危険性と同居しながら、うまく共存しなければならないのが現実である。
国際紛争解決に際して、国連中心主義を唱える人も実体的ではない。シリアやパレスチナなど見てもわかるように、国連が主導して紛争を解決した実績もないし、まして国連軍などどこにも無い。自国の防衛は同盟国と共同で守らなければならないのが現実である。
安全保障は実体論であり、空理空論は百害あって一利もない。
師走の忙しい中の選挙で、しかも、多党乱立の中でわれわれが選ばなければならないのは、実体論を掲げる政党と候補者ではないだろうか。
われわれ選挙民には、出来もしないことをさも出来るように主張する党と候補者を排除する見識が問われている。
空理空論に票を投じるのは、まやかしの宗教に賽銭を上げるようなもので、その人たちが世にはびこり、私腹を肥やすことを応援するに等しい。
中国・朝鮮半島・ロシアそしてアメリカに囲まれた現実と向き合って、豊かにそして安全に生きられる国家を作るにはどうするのか。
とりわけ安全保障は実体論である。実体感覚を持って候補を選ぶことが大事だと思う。(松島悠佐、2012.11.21)