「専守防衛」という言葉
「専守防衛」という言葉は、現在では防衛白書の各所に出てきます。
誰でもが、「シビリアンコトントロール」の対語のように自然に使っています。
我が国の国是のように扱われていますが、私が航空自衛隊の幹部学校指揮幕僚課程(CSC:Command and Staff Course)の学生であった頃は、少なくとも制服組で「専守防衛」という言葉を使うものは少なかったと思います。代わりに「戦略防御」と言うべきであるという主張が多かったと記憶しています。
当時は、旧ソ連の極東戦力が主な脅威でした。戦闘爆撃を任務とする部隊で勤務していた同僚学生は、戦闘になったら、敵地に攻め込む勢いでした。もちろん現在のように、巡航ミサイルなどはなく、航空機による攻撃が主体でしたので、航空基地をたたくと意気込んでいました。
「専守防衛」については平成16年版、防衛白書で「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する自衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢」とされています。
「専守」という言葉は広辞苑にはありません。「専ら守りだけを行う、防衛に徹する」という意味の造語です。かつて社会党が野党第1党であり国会でかなりの議席を占めていた頃、政府が考え出したものと思われます。しかし、これは「守りに徹する」からさらに、「敵の攻撃を受けてからでないと反撃しない」という意味に解釈されてきています。
ミサイル攻撃などに対しては、策源地攻撃が可能であると言うことは、1956年の鳩山一郎首相の国会答弁で明らかにされているように、「他に適当な手段のない場合」においては、「座して死を待つ」のではなく、一定の制限のもとで攻撃的行動を行うことは現行憲法下でも認められていると理解されています。しかしながら「専守防衛」が自衛隊の基本戦略とされている現在では、実際の能力的に極めて困難です。
中距離大陸間弾道弾(IRBM,MRBM)、巡航ミサイル、長射程の空対地ミサイル、精密誘導爆弾等を装備していない現状では、最も蓋然性が高く、距離的にも近い存在の北朝鮮に対しても、策源地攻撃は困難です。策源地攻撃についての能力は全面的に米軍に頼るというのが実情です。
私は元来この「専守防衛」という考えに疑問を持っています。
一見カッコ良いのですが「敵の攻撃を受けてからでないと反撃できない」ということは、国民の誰かを犠牲にするということです。国の守りを任されている「防衛省・自衛隊」がこのような考えでいいのでしょうか。
敵が攻撃準備をしていて、明らかに攻撃意図があると判断されれば、国民の犠牲が出る前に、その軍事基地をたたくというのは、常に考え、そのための装備を整え、充分な訓練をつんでおくべきではないでしょうか。(島本順光)