TPC(テストパイロットコース)
航空自衛隊岐阜基地にはたくさんの部隊があります。一番大きく、基地業務を担っているのは第2補給処です。航空機に関する整備・補給を司っています。
次が、航空開発実験集団(入間)隷下の飛行開発実験団です。
ここでは全国で唯一のTPCという課程があります。全国のパイロットから選抜された、約10名の精鋭が、テストパイロットになるためのコースです。
非常にタフなコースとして、全国的に有名です。午前中は座学、午後はフライト、そして夕刻からはフライトの解析となり、その日のうちに結果を出すことを求められます。
通常の飛行試験についての教育はもちろんですが、異常事態の訓練も行います。
この課程を修了すると、どのような飛行機も操縦できると言うことになります。もちろんその前にその飛行機の特性、操縦要領などについて修得する必要はあります。
この課程は、航空自衛隊のパイロットのみならず、陸、海自衛隊、さらには他省庁、民間航空会社の人員も受け入れています。
私が入隊した昭和44年に創設された課程で、現在までに200人以上のテストパイロットを輩出しています。
TPCを卒業して、しばらくは岐阜の飛行開発実験団の所属になり、航空機に関する開発業務に携わるのが普通です。私たちがいた頃TPCを卒業し、テストパイロットとして勤務した方々と、当時の技術幹部とは勤務上の信頼関係の厚さが求められることもあり、今でもお付き合いしている方々が多くあります。
わたしもF-2が配備される前のF-1戦闘機導入前のフラッター試験(翼の振動が発散して破壊に至らないことを飛行中に実証する試験)を担当していたとき、操縦桿を拳でたたき、翼に振動を与えて航空機の復元安定性を試験するステイック・ジャークというものをやりました。ある飛行ポイントをクリアーすると次のポイントに移っていくわけですが、その日は調子よく16ポイントをクリアーしました。たぶん当時の世界記録だと思います。しかし、拳で思いっきり操縦桿をたたかせられるパイロットはたまったものではありません。無線交信している語調から、怒りを感じ取った私は、出迎えるときサロメチールをもって、操縦席に駆け寄りました。パイロットのH3佐(当時)は怒るに怒れず、コノヤローと言っていました。H3佐はその後、空将までなられましたが、今でも一緒にお酒を飲むと、その話が出ます。
また、別の方のお話しを紹介します。TPCでは異常状態を作ってリカバリーの訓練をするのですが、危険なものにフラットスピン、背面スピンというものがあります。フラットスピンは、トムクルーズ主演の「トップガン」で同僚が死亡する事故事象です。
その方は背面スピンの訓練時、操縦桿を放してしまい、操縦できなくなったそうです。
地上500メートルまで降下して回復して九死に一生を得たわけですが、試験をしているときはボイスレコーダーで、録音していますので、そのときの自分の声をあとで聞き、人間死にそうなときはこんな声を出すのかと思ったと言っていました。
しかし、偶然とはいえ、そのような状況になって、人間がどのような対応をするのかということを経験しておくことは非常に重要なことだと思います。
以前この面白話で「命をかけたことありますか」というのを書いたことがあります。命がけを覚悟して任務を完遂することとは少し違っていますが、異常事態に対処する一般的な心得を体験できる貴重なことだと思います。
いつも、異常事態に入るかもしれないという「危機感」を持って行動することは自衛官のみならず、必要なことではないでしょうか。(島本順光)