命を懸けた事ありますか?

ご存じのように、自衛官は、入隊に際して宣誓をします。
「…事に臨んでは、危険をも顧みず…」というくだりですが、ここが普通の国家公務員と違っているのです。
私は「一般大学」を卒業して自衛隊に入隊しました。それだけに、自衛隊に入ることは軍人になることで、「死」をも覚悟しなければならないのではないかと思っていました。
皆さんも日常生活の中において、「ひやっ!」とした時、「あの時危なかったな、少し間違えば命が無かったかも」等の記憶はあるでしょう。
しかし「死ぬかも知れない」とあらかじめ分かっている仕事、ないしは任務を果たしたことがあるでしょうか。
自衛隊に入隊して、他の就職と違うなと思うことが二つあります。
一つは、職種によっても違いますが、概ね、若くして多くの部下を持つことです。私は大学を卒業し、幹部候補生学校で半年間の教育後、岐阜基地に配属され、浜松の整備幹部過程を修了後、23歳で約50人の隊員のいる修理小隊(現在は修理隊)のナンバー2になりました。小隊長が、5つの班のうち2つを担当し、その他の3つの班の業務及び全体の隊員について面倒をみるようにとのことでしたので、一部ベテラン隊員を除き、ほとんどの隊員の、行動、生活、昇任・昇給などを担当しました。特に昇任・昇給などは、他の隊の隊員との競争ですので頑張りました。隊員の方も敏感で、やってくれる幹部に対しては、非常に好意的でした。
その当時、同じ年齢層で接した人々とは、本当に心からの結びつきを感じながら、今でもお付き合いをしています。
もう一つが、かなり危険が内在している任務を行う必要があるということです。
先に述べましたが、「死」を覚悟しての任務(決して誇張ではありません)を行ったことがあります。その最も記憶に残っていることをご紹介します。

当時C-1輸送機が着陸後タクシー中にタイヤがバースト(爆発)するということが何度かありました。ブレーキの高熱が、タイヤに徐々に伝わり、結果的にバーストするとみられたのです。C-1のタイヤは8本ですので、そのうちの1本がバーストしても大きな影響はありません。しかしながら、この不具合を調査することになりました。
滑走路を高速で走り、フルブレーキをかけて停止し、直ちにタイヤ周辺の温度を測るというものでした。私がその測定員に指名されたのです。現実にバーストしていますので、バーストすれば、ひとたまりもありません。遠巻きに消防隊員がホースを構えているところに、薄い耐火服でタイヤのところに行き、熱電対(温度を測る機器)でタイヤの内側の金属部分の温度を測るのです。本当に「命がけ」でした。少なくとも私は「死」を覚悟して事にあたりました。結果的にはバーストせず、私は生き残っています。
しかしこの経験は、以降の私の人生に大きな影響を与えました。「命がけ」で任務を果たせたという自信です。このような経験は自衛隊ならではと思います。

当研究所の松島悠佐代表もそのような経験をしています。
初級幹部だった頃、りゅう弾砲の射撃訓練をしていました。ところが、ごく稀に不発射弾があるのです。不発射弾があると、もう一度発射動作を行い、それでも不発の場合は素手で回収するのだそうです。そんな事態に遭遇すると、隊員は自分の方を振り返って見ます。自分は振り返る人がいません。誰かがやらなければならないので、やむを得ず自分が行くことになります。砲から不発射弾をとりだすのですが、いつ爆発しても不思議はないわけです。それを抱えて、不発弾処理場まで運ぶのですが、まさに「命がけ」の任務です。

他にも「この人は肝が据わっているな」と思う人に、「命がけで仕事したことありますか」と質問してみると、かなりの確率で、「やったことがある」という返事があります。
今まさに、福島第1原子力発電所では「命がけ」の仕事がされています。自衛隊員も見えない「放射能」というものと戦っています。しかしながら、これらの任務を果たしきることは自分自身の人生にとって、大きく重い自信となると思っています。(島本順光)