防衛大学校の名物教授
防衛大学校の5期生(昭和32年入校)である私の学生時代の話ですので、相当昔の話ですが、今も鮮烈に記憶が残っているお話です。
どこの学校にも「名物教授」がいるようですが、当時防衛大学校で大変ユニークな考えをする西洋哲学の教授がいました。休講が多いうえに何を勉強すればよいのかもわからず、結局何も勉強しなかった記憶が残っています。それでも試験がありますので、その時には覚悟を決めて名前だけ書いて何も書かずに出てきました。
その後の試験結果が面白い評価でした。私は何も書いていないので0点でしたが、何か書いた友人はマイナス点かプラス点でした。
教授いわく「今回は成績が悪く、マイナス点も多くて平均点は0点を下回る。マイナス点を取ったものは追試験をする。」
そこでマイナス点を取った学生が抗議しました。
「何も書かないのが0点で追試験なし。私は真面目に書いたのにマイナス点で追試験とはおかしいのではないですか。」
教授いわく「分かりやすく例えて言うが、私は東京駅から九州へ行けという問題を出した。中には大阪まで行った人、静岡までは行った人がいたのでプラス点をやった。君たちは反対の方に行く汽車に乗って、仙台や青森まで行ってしまった。だからマイナス点を与えた。何も書かなかった連中は、どの汽車に乗っていいのか分からずに東京駅に立っていたのだろう。これは0点だ。ただこの連中は、どの汽車に乗っていいのか分からないということは分かっていた。分かったと思って反対の方に行くよりも正しいのではないか。」
私は0点で追試験なしだから助かったと思って喜んだが、マイナス点組はしばらく不満が収まらず、ぶつぶつ言っていました。
その教授があるときの授業で、プリントを配ったのですが、その時のこともよく覚えています。教授が教室に並んだ各列の前で、列の人数を数えてプリントを配り、1枚ずつ取って後ろに渡すやり方でした。私は最後尾にいたのですがプリントが足りなくなりましたので「先生、プリントが足りませんので1枚ください」と言いました。すると教授は「おかしいですね、数えて渡したのですから」
「はい、でも事実足りないのです」と私が答えると、そこからがややこしくなりました。
教授いわく「事実というのは、君にとってはプリントが足りない事でしょうが、私にとっては数えて渡したという事です。1枚くれということは、私の数えたのが正しくなかったという事ですか。君の事実と、私の事実の間に違いがあるという事は、1枚ずつ取って後ろに渡す行為が正しく行われたかどうかを検証する必要があるのではないですか。」
いやはや、プリント1枚もらうのに何とも難しい理屈があるものよ、と思いながら、哲学など勉強するから理屈っぽくなるのだろうと、その時は感じていました。
それからずいぶん後になって、いろいろな経験を重ね、難問にぶつかったときに、ふと、あの教授の考え方が頭をよぎるようになりました。
例えば、事故防止の施策を考え、部下に徹底させたはずなのに事故が起きます。
徹底させたのも事実だが、起きたのも事実。どこかに思い込みがあったのか、手抜きがあったのか。考えさせられることもあります。
変わり者の名物教授などと、当時は冷やかし半分に呼んでいたのですが、その考えには、若い時には吸収できなかった蘊蓄のある内容が詰まっていたのかもしれないなと、今も思います。