韓国大統領の竹島訪問で考えるべき事
8月10日、韓国の李大統領が竹島を訪問し、日本の国家主権に対するあからさまな侵略行為を行なった。これに対してわが国は厳しい対応をするとは言いながら、日本大使の召還や国際司法裁判所への提訴が精々だろう。
一昨年尖閣諸島沖で海保巡視船に中国漁船が衝突した時の政府の不可解な対応以来、領土主権に曖昧な対応をすると北方四島や竹島でも同様の事態が起きると危惧されていたが、残念ながらそのとおりになってきた。
尖閣諸島事件の2カ月後の2010年11月にはメドベージェフ大統領(当時)が北方四島を視察し、今年になってからも首相として再度訪問し日本への返還などあり得ないと気炎を上げた。
当研究所の論文でも度々触れているが、領土問題の解決には力を背景にした粘り強い交渉をする以外に方法はないようである。
今回の竹島も北方四島の問題も、長年それを怠ってきたツケが回ってきたと言える。
現行の民主党政権の対応は極めて拙劣だが、今に始まったことではなくて自民党の時代から続いてきた腰の引けたわが国の外交姿勢がもたらした結果である。
竹島については、日本の主権回復の直前1952年1月28日、当時の韓国大統領が突然「李承晩ライン」を設置し、日本の漁船の締め出しを始めてから問題が生じた。その時日本はまだアメリカの占領下にあり、かつ自衛隊もなく毅然たる対応を望むべくもなかったが、その後自衛隊を逐次整備した後でも、相手を刺激しないとの方針のもとに毅然とした対応をしてこなかった。
韓国は1954年6月に竹島に警備隊を配備し、その後1957年に接岸施設を建設し、この頃から日本の漁船が拿捕される事件がしばしば起きている。このような事件の解決に際して、主権国家として毅然とした対応をすべきだったのだが、わが国としては国際司法裁判所への提訴を提案するのが精一杯だった。それも韓国側の拒否によって実際には提訴も出来なかったのが事実である。
その後、1965年には日韓国交正常化を図るのだが、その時にも竹島問題を棚上げにして、紛争解決に関する交換公文を交わしただけで、日本側が相当に譲歩した日韓漁業協定が結ばれた。
韓国はその後も有人灯台・埠頭・居住施設などの建設を続けており、1999年11月には500トン級埠頭が完成され、2005年からは一般市民に上陸が許可されている。
これらの事実に対してわが国政府の対応が生ぬるいので、2005年3月には島根県議会が「竹島の日」を条例に定め、領有権を主張しようと努力するのだが、ほとんどのメディアも報道を控えて、政府の事なかれ主義を擁護してきた。
その結果が今日のような体たらくを生んだのだと言える。
野田総理や玄場外務大臣・森本防衛大臣の対応がお粗末だという批判もあるが、わが国の領土問題に対する対応はそんな問題ではなく、もっと根本の問題がある。
それは戦後60年にわたって政治家・学者・メディアが国会と学校と茶の間で国民に啓蒙し続けた間違った平和主義の結果である。
平和は願望だけでは守れない。必要な時には血を流してでも守るという決意が必要である。領土を守る事も同じであり、願望と交渉だけで領土が守れるならば、世界に軍隊はなくなっているだろう。
今となっては竹島も北方四島も相当の戦争を覚悟しなければ還ってこない。だが、尖閣諸島はまだ間に合う。竹島から学ぶ事は、尖閣諸島で竹島と同じ間違いをしないことではなかろうか。
大臣の言質など瑣末な問題に関わらずに、もっと本質的な問題に取り組んで欲しいものである。(松島悠佐)