自衛官の嫌いなこと
一般に職業上嫌われることは「3K」と言われています。「きつい」「汚い」「危険」の三つです。ところが「自衛官」はこれらを真っ先に任務として遂行することが求められる職業です。
今回の「東日本大震災」でも、最大10万人以上が、厳しい環境の中で任務を果たしてきました。仙台に派遣されている部隊を慰問に訪れた時、自衛官は皆溌剌として、微塵も嫌な顔をしていませんでした。
実任務に就き、ほかの集団ではできないことを自分たちがやっているのだという、自覚と自信がそうさせるのだと思います。
当初の混乱した中での行方不明者の捜索等では、精神的にも非常に厳しい状況があったと聞いています。一般にPTSD(心的外傷後ストレス障害)は、被災者側の立場で考えられますが、災害派遣された自衛官にも大きな精神的ストレスがかかっています。今も実任務についていて、「放射能」という目に見えない恐怖と戦っている、原子力災害対処も然りです。
これらの精神的ストレスを自衛隊がどのように克服しているのかは、当研究所発行の「自衛隊のPTSD対策」に詳しく載っているので参照していただきたいと思います。以前、阪神淡路大震災の時に姫路の部隊を慰問した時も、各隊員たちが、きびきびと活力に満ちた顔であったことを鮮明に記憶しています。
ある時、陸上自衛隊の普通科で小隊長を経験した幹部と話していたら、雨が降っている時とか、雨上がりで地面がぐちゃぐちゃな時に訓練をする際、まず部下に対し地面に伏せることを命じるそうです。服がぬれたり汚れたりすることを気にしなくさせるための方策だそうです。
以上述べましたとおり、自衛官は3Kを気にしない、少なくとも嫌がらない。
では、どのようなことを嫌がるのでしょう。
第一に従来から、マスコミには色々と苦渋を飲まされているため、あまり好きではありません、はっきり言うと嫌いです。ある場面だけを放映したり、文書化することにより自衛隊側を陥れるようなことが、ままあるからです。潜水艦「なだしお号」事件、護衛艦「あたご」事件等はその最たるものでした。
古くは雫石上空での全日空機との衝突事件も結果的にその類でした。
自衛官個人は、発言したり、反論することができないため、悔しい思いをした自衛官は多いと思います。また、職場での仲間はその悔しさを共有しているので、マスコミにはあまり親近感を持っていないのが事実です。
次に、種々の厳しい環境の中で勤務をし、計画を作成したり、実行していく段階で、全く関係のない部署から横やりが入ることに対しては組織として反発します。政治家の介入などその最たるもので、父兄が自分の地元に子息を配置転換してほしい等と政治家に頼むケースです。意外と本人はそのような気が全くないケースも多々あります。これらは、本人のために全く良くないことで、自衛官は非常に嫌います。
もちろん、政治家と言っても、シビリアンコントロール下の防衛大臣等、組織を通じた指導には徹底して服従するのは当然のこととして受け入れます。
他には、私自身は、ちょっと違った考えですが、「会計検査院に指摘されること」も極端に嫌う傾向にあります。自衛官といえども人間ですから間違いはあって当然と思います。会計検査院側の目で見て不具合だと思う事項は「間違ったこと」として善処するべきで、別に恥じることはないと思います。
「徳政令」(かなり昔の不具合は全部チャラにする)が実行されれば、完璧を目指すための人員と努力が他の目的に振り向けられるのではないか、費用対効果を勘案しても良いのではないかと思います。
また、以前六本木(現在の六本木ミッドタウン敷地)に庁舎があった時代は、内局のことを「川向う」と言って、考え方が違っているかのような表現を使っていました。現在は同じ防衛省A棟で勤務しており、そのような表現もなく、統合幕僚幹部の機能が充実してくるに従って、防衛力整備と運用の仕分け等、背広組と制服組の防衛省内での齟齬が少なくなっています。
これは自衛官(制服組)が内局事務官等(背広組)を嫌っていたかも知れないということですが、エスカレータ式の背広組と、それぞれの部署で隊員の命を預かりピラミッドを構成する制服組の構造的な宿命かもしれません。
現在のところ、幸いにして実際の戦闘場面はありませんが、最近顕著になっている尖閣諸島等の緊急事態に対して法的整備を急がないと、自衛隊が有効に機能しない事態が予想されます。 (当研究所発行「尖閣諸島が危ない」参照)
「戦を始めるかどうか」は政治の判断、「どのように戦を行うか」は軍事の判断です。このような線引きが明確になるような法体系を平時に整備しておくことが重要だと思います。
明確な目的を持たずに戦闘することが、自衛官にとって最も根本的に「嫌うこと」ではないでしょうか。
今までの海外派遣のように、自衛隊が他国の軍隊に守ってもらいながら任務を遂行する等ということはないようにしたいものです。(島本順光)