「予算 」
現在、年末に向けて、各省庁は予算の精査をしているところと思われます。
防衛庁(現在は防衛省)では昭和60年に「予算概算要求基準」という制度が設けられるまで、年末、大蔵省(現在の財務省)から予算の示達があると、各部局は待機していて、一斉に予算担当部門に、いわゆる「分捕り」に走ったものです。
私たちも、泊まり込み、各部課独特の料理等を自炊したものです。敵情偵察と称して、他の課がどのような料理を作っているか、酒は何を飲んでいるかなど各部門を回ったものです。ミイラ取りがミイラになり、酔っぱらってこちらの情報をすっかり取られて帰ってくる者も、ままありました。中にはひどい料理を作る部課もあり、私が見た中で最悪は「フライドチキン鍋」でした。
当然12月は予算決着まで主要な者は職場待機でした。ただし、豪胆な人(と言っても下っ端同士ではやれないのですが)は外のマージャン屋で待機している者もありました。
予算の決着がつき、大掃除、点検、年末あいさつを済ませ、カレンダーを持って地下鉄で帰ったことを記憶しています。
しかし、それまでの待機期間は情報戦とスピード勝負、それに「だるま」作戦というものが予算獲得の勝敗を決したものです。「ダルマ」作戦とは何でしょう。これは現在、あまり皆さんの目に触れないのですが、サントリーに「オールド」という銘柄があり、これを通称ダルマと言ったので、この名前が付いています。もちろん自分の所掌する予算についての必要性や、経費についての説明は十分にしておく必要がありますが、みんなそれぞれの部署にとって「予算」は最重要です。配分する方にとっては、全部に付けてやりたいが、そうもいかない。そこで如何に早く、適切に「ダルマ」を届けるか、が勝負になってくるのです。
私も当時の施設課に飛実団の施設を要求していた時、ダルマを持って行ったら机の上に、上半身裸の施設課長がねじり鉢巻きで胡坐をかいて酒を飲みながら居て「はい、技術部からダルマいっぽ―ん」と言われて、みんなが拍手してくれたことを記憶しています。人間味があって、抜け駆け、先駆けを争ったのを懐かしく思い出すとともに、各担当幕僚間でこのような競争があっても良いのではないかと思います。
部長折衝、局長折衝等、大蔵省側との折衝も、結果で一喜一憂したり、さらに上の大臣折衝、党(自民党ですが)としての折衝等が順次行われ、大臣折衝前には「国防族」議員が大臣室に詰めかけて、大蔵省に団体で行ったりしたものです。
このような年中行事も、昭和から平成に時代が移ると共に、少なくなり、平成10年の「年度予算に関する基本方針」が設定され、いわゆるシーリング設定が厳格になって、現在は概ね8月頃の概算要求とシーリング時に決まってしまい、年末には残りの少額予算が付くかどうかになってきています。
予算作業が年と共に変っていくのは致し方ないと思いますが、GDP1%枠等、無意味な制約は現在の我が国の現状からすると非常におかしいと思います。
「動的防衛力」等の言葉も最近の防衛白書には出ていますが、本来必要であれば、必要な個所に配備しておくべきであり、それだけの人員器材を整備しておかなくてはなりません。それが無いので、機動運用したり、新造語である「動的防衛力」等を言っているにすぎません。
現在の我が国の情勢と、米国の戦略から考えると、防衛費の増額、人員の充実、装備の近代化等は必須の事項であると思います。国家として決断する時期が迫っていると考えます。(島本順光)